2010年8月9日月曜日

現代ヨガの歴史:ビート・ポエット、アラン・ギンズバーグのキルタン



ファッション、音楽、車、テレビ、ポップカルチャー、カウンター・カルチャー、コーラ、マック、ジーンズ、沢山の物やアイディア、カルチャーが日本に、アジアにアメリカから来た様に、現代ヨガの波もヨガのマザーランド、インドから訪れたわけではなく、アメリカからやってきたのは不思議ではない。

アメリカでは既に大きな火がついてた、プラスチックのスティッキーマットを敷いてテンポ良く動いて行くヨガが数年前に日本に上陸した。都会的なヨガスタジオと言うセッティングで練習する現代のヨガは60年代、70年代、80年代にインドに渡り、何十年もヨガを練習し続けているアメリカ人のヨガティーチャー達によって、現代化され、日本で実践されている現代ヨガもそれに大きな影響を受けている。

ヨガはヨガだし、探究する事や向かうゴールは同じなのでヨガにスタイルは関係ない。しかしながら近代の日本で大勢のヨガプラクティショナーが実践している、ほとんどのヨガのスタイルは欧米から発信されたもの、ヴィンヤサフロー、プラーナフロー、パワーヨガ、アヌサラヨガ、フォレストヨガ、ビクラムヨガ、ホットヨガ、などなど。

インドの伝統的なハタヨガの流派として知られているシヴァナンダヨガも、スワミ・シヴァナンダの弟子であった、スワミ・ヴィシュニュー・デヴァナンダが米国、カナダに移民し、そこで欧米人のために調整したスタイルを広めていった。同じく、スワミ・シヴァナンダの弟子であったインテグラルヨガのスワミ・サチダナンダもアメリカに渡り、西洋人のために調整したヨガスタイルを確率した。

インド、プネのアイアンガー師も、最初は西洋人の著名な生徒にヨガを教え始めた事がきっかけとなり、世界に進出した。そして、大勢の西洋人のシニア・ティーチャーにより、アメリカにアイアンガーヨガセンターが立てられ、そこからグローバルレベルで広がっていった。近代でアイアンガーヨガを実践する人はインド人のヨガインストラクターではなく、西洋人のアイアンガーヨガティーチャーに習っているケースがほとんどだろう。

日本で今だに流行っているアシュタンガヨガも、クリスナマチャリア師やパタビジョイス師によって古典的なヨガとイギリスのジムナスティック、体操をブレンドして編み出された。そしてアシュタンガヨガを最初に西洋に伝えたのもアメリカ人の先生。

クンダリーニヨガのヨギ・バジャンもインドからアメリカに渡り、大勢の西洋人のクンダリーニヨガティーーチャーを育成し、近代では西洋人のクンダリーニヨガのシニア・ティーチャーによって世界に広められている。

5000年前にインドから始まった古代のソールを自由にする科学、アートフォームは常に変化し続ける事で今に伝えられているので、現代人にフィットするモダンなヨガが実践されているのは自然な事だろう。

もちろん、ヨガ=ハタヨガではない。近代のインドではハタヨガを実践しているのは2%位で98%はバクティヨガや瞑想などのマインドの質を高めるヨガだと言う。なのでここで言う、現代ヨガとはアサナ、ポーズの練習を行うハタヨガを指す。


世界的にプラクティスされている現代ヨガ (ハタヨガ)を形つくったアメリカのヨガの歴史は1893年にスワミ・ヴィヴェカナンダがインドから、シカゴで行われたWorld Parliament of Religionsへ招待され、大勢のアメリカ人の前でヨガについて講義をしたのが始まりだった。



アメリカ人の最初のヨギ、思想家、哲学者のヘンリー・デイヴィッド・ソローとラルフ・ワルド・エマーソンも現代のアメリカンヨガに多大な影響を与えた。ヘンリー・デイヴィッド・ソローの大作、ワールデン はソロー自身の瞑想についての体験だと言われている。

1919年にはピエール・バーナードが西洋社会、初となるヨガスタジオをマンハッタンの53丁目にポーズと呼吸法を教える場としてオープンさせた。

不安定な社会の壮絶な変化、クリエィティビティーとパッションに溢れていた、60年代のアメリカはサブ・カルチャー、カウンター・カルチャー、の渦のまっただ中。60年代にビートルズがインドに渡り、マハリシ・マヘッシュ・ヨーギー に帰依した事で世界メディアもヨガを大きく取り上げ始めた。そしてハーバード大学の教授だったラム・ダスがインドの聖人、ニーム・カロリ・ババに会った事で現代ヨガのムーヴメントに大きな影響を与えた。

大学生の頃に大きな衝撃を受けた、ビート・ポエット、詩人のアラン・ギンズバーグもヨギだった事を知った時はなんだがうれしかった。



アラン・ギンズバーグのヨガの体験がとても興味深い。1968年、ワシントンDCで開かれた民主党全国大会。リンカン公園で警察とデモンストレーターの間で暴動が始まった。警察と市民が激しく争う中でアランは公園のまん中に座り込み、OMをチャントし始めた。その時の経験を彼は後にこの様に語っている、何時間もOMを唱え続けると体中に電気、ヴァイブレーションが流れだし、宇宙の意識と一体になり、グレース、grace ~ 恵みの中に溶け込んだ、完全なトランスフォーメーションを体感した。

このクリップは1968年の民主党全国大会でアランが仲間達にキルタンをリードしている映像。クリップの最後の方はわけわからなくなりますが、ヨガやアラン・ギンズバーグ、カウンター・カルチャー、サブ・カルチャーに興味がある人には前半はおもしろい映像です。

同時期、テレビ番組のトークショーでもアラン・ギンズバーグがハルモニュームを弾きながらハレ・クリシュナをチャントした事もメディアや社会的にも大きいインパクトがあった。








1969 年にはインドからアメリカに移民した、グラフィック・アートの父、Peter Maxの師、スワミ・サチダナンダが伝説のウッドストック・フェスティバルのステージで何十万人の若者達とOMをチャントし、ヨガのウェーブがいよいよ本格的にアメリカをヒットした。





ウッドストック・フェスティバル ~ ロックンロールの大規模な野外フェス、カウンター・カルチャーを集大成した、1960年代のヒューマンビーインと呼ばれる人間性回復のための集会でもあり、音楽イベントとしてのみならず、ヒッピー時代の頂点を示す象徴と捉えられている。 

 
この様な歴史のレールの後に、今私たちがプラクティスしている現代ヨガがある。ドアを開いてくれた先人達に、現代ヨガコミュニティーの基盤を作ってくれた、素晴らしいヨガプラクティスを伝えてくれているヨガティーチャー達に thanks & respect.

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